top of page
yama02.gif

山北の産業遺構
川村用水と鉄道遺構

川村用水と鉄道差し替え.png

川村用水

湯山五代墓所 のコピー.jpg

湯山五代墓所

川入堰の碑 のコピー.jpg

川入堰の碑

江戸時代から始まる治水と利水
 元禄16年(1703)に元禄地震が起こり、宝永4年(1707)に富士山が大噴火をおこしました。この二つの災害は山北に多大な被害をもたらしました。

皆瀬川掘割
 江戸時代の中ごろまで皆瀬川は山北の集落中心部を東西に流れ、向原で酒匂川に合流していました。  元禄地震と宝永の大噴火によって土砂崩れや火山灰が積もったことによって、皆瀬川は何度も氾濫を繰り返し、流域では大きな被害がありました。  江戸幕府は災害復興のため、三重県の津藩(藤堂藩)に手伝い普請(復旧の費用を大名が負担して復旧工事を行うこと)を依頼し、山北の名主「湯山弥五右衛門(初代)」らが中心となって皆瀬川の流れを変える瀬替え工事を行いました。  工事は現在の樋口橋付近を掘って皆瀬川をまっすぐ酒匂川に流すことで、山北の集落を皆瀬川が流れないようにして、皆瀬川の氾濫を防ぎました。

川入堰と瀬戸堰(川村用水)
 掘割ができたことで、山北の集落(山北地区・向原地区)は洪水の心配がなくなった代わりに、飲み水も事欠くような水不足に悩まされることになりました。  そこで、享保19年(1734)、二代・湯山利右衛門は皆瀬川上流の川入から集落にむけて用水を引きました。これが川入堰です。  また、安永8年(1779)年には酒匂川の瀬戸地区から用水路工事を始め、山北に3本の用水(北山根堰・中通り堰・南山根堰)を引くという大規模な工事を行いました。3年後の天明2年(1782)に瀬戸堰が完成すると、ようやく水不足が解消され、米作りができるようになりました。

川村岸堰と原耕地堰(松田用水)
 寛政年間(1789~1800)になると、川村用水から山北町岸・越地地区へ分水工事を行いました。寛政12年(1800)に完成した川村岸堰は、南山根堰を室生神社から八幡神社の地下にトンネルを掘り(現在の県道74号線、川村小学校前付近)、用水を流すという工事でした。この川村岸堰は、八幡神社の境内奥の斜面や、室生神社の付近に現在も残っています。  川村用水の完成より80年程前、正徳4年(1714)から工事が始まった原耕地堰は正徳5年(1715)に完成しました。  この原耕地周辺は古来より遊水地として利用されていたところですが、この用水工事によって、15町ほどの水田ができあがり、米作ができるようになりました。

鉄道遺構

東海道本線の拠点だった山北駅
 近代の山北町は鉄道とともに町が発展しました。  明治22年(1889)に山北町に鉄道が開通した当初は、東海道本線として、東京と大阪を結ぶ大動脈の役割を担っていました。  箱根山を迂回し、静岡に抜けるために選ばれたルートでしたが、山北駅から御殿場駅へと抜ける急勾配を登るため、補助機関車を連結しなくてはならず、連結を行う施設が山北駅に設けられました。  また、蒸気機関車に石炭や水を供給する役割も担っていたため、急行列車の停車駅にもなっていました。  機関区では多くの蒸気機関車が待機し大量の煙を上げていたために、「山北の雀は色が黒い」と言われたほどだったそうです。  山北駅前は、駅を利用する人々や、出発待ちの乗客、600人以上もの駅係員など多くの人出があり、それを見込んで、割烹や旅館など、夜通し賑わいました。  また、停車列車が増加すると、鮎寿司の駅弁や山北産のみかんが販売されるようになり、町の多くの人々が潤いました。

東海道本線から御殿場線へ
 しかし、昭和9年(1934)、海沿いに丹那トンネルが通じ、東海道本線が熱海経由へと路線変更を行うと、当時の賑わいは少しづつ衰退していきました。

戦時下の山北駅
 太平洋戦争中の昭和18年(1943)には不要不急線に指定となり単線化されました。橋げたやレールもタイへと運ばれ、映画「戦場にかける橋」で知られるクワイ川鉄橋に使われました。その、複線時代のなごりが、第2酒匂橋梁に見ることができます。  谷峨駅の西側に単線化され使われなくなったトンネル(隧道)があります。その「箱根第5隧道」には、軍隊の命令で海外向けの送信所「足柄送信所」が作られます。足柄送信所は、終戦を告げる玉音放送を、ここから海外にむけて発信しました。送信所を空襲から守るための「爆弾防護壁」が今でも線路わきに残っています。

戦後の山北駅
  戦後の機関車D52が電化前の昭和43年(1968)まで走っていました。
 その機関車が山北駅前の鉄道公園に動ける状態で保存され見学することができます。

線守稲荷_01 のコピー.jpg

線守稲荷

02_D51.jpg

鉄道公園のD52 

第二酒匂川鉄橋 のコピー.jpg

第2酒匂橋梁

5A_箱根第5号隧道_痕跡_02 のコピー.jpg

箱根第5号隧道 (足利送信所跡) 

ヒキガエル.jpg

山北を知る・学ぶ

山北の歴史は古く、今から5千年前、縄文時代中期頃の尾崎遺跡や共和小学校遺跡が見つかっています。

数珠回し のコピー.jpg

山北の祭り

山北町に古くから伝わるお祭りをご紹介いたします。

洒水の滝Photo.jpg

洒水の滝

洒水の滝は酒匂川の支流、滝沢川にあり、「日本の滝百選」「全国名水百選」にも選出されています。

山北町地域文化遺産活性化実行委員会(やまきたハンズオン)

文化庁の令和3年度文化芸術振興費補助金(地域文化財総合活用推進事業)の一貫として作成しています。

bottom of page